幸福論は総多胎的なも
ここで、あの確率的であると言ったのは、実は幸福論を述べるときに1億2700万の人間の内、真ん中、中心を取るのか、どちらかの端を取るかで幸福論が全く違ってきちゃうんですよ。
つまり、言ってみれば平均的な日本人。小さい頃から普通に風邪なんか引きながらお母さんとかお婆さんとかのもとで育って、小学校から高校ぐらいまで行って、高校も県立高校にやっと入るか、もしくは私立に行くか‥‥‥まぁ大学もそこそこの大学に行くか行かないか‥‥‥。そして、男性でしたら就職をして結婚して家庭を持って‥‥‥といった人。女性だったら、例えば結婚して‥‥‥「結婚して」というのはこれも難しくて、女性で結婚する人は、だいたい今80%ぐらいなんですが、80%の人の幸福を論じる場合は「結婚して」と言って幸福論を述べればいいんですけれども、20%の結婚していない人や結婚しても子供のいない人というのが必ずある割合でいるんですよ。幸福論はどっちなんだと思いましたね。
それで幸福はどっちなんだと思ってみますと、なかなか面白いんですけれども、まず非常に極端なのは宗教的幸福論の場合ですね。
お釈迦さまはちょっと違うんですけれども、宗教的幸福論の場合、例えばイエスキリストなどはそうなんですが、非常に分布の確率的に運の悪い人に焦点が当たっているんですよ。運の悪い人も、「神の国に行けるから、あなたも幸福だよ」となっているわけですね。逆に今度はすごく幸福な人へは「あなたは金持ちだから天国に行けないよ」となっているわけです。
すると真ん中は? と言われると、いや、真ん中の人は‥‥‥って感じなんですよ。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 2025027