
ポイント
与次郎が三四郎の傍に来た。
「どうだ、森の女は」
「森の女という題が悪い」
「じゃ、何とすればいいんだ」
三四郎は何とも答えなかった。ただ、ロの中で
『ストレイシープ(迷羊)、ストレイシープ(迷羊)』
と繰り返した。三四郎は美禰子と、本郷教会の前で別れた。その時美禰子から
『ヘリオトロープの匂いはあなたが選んでくれた思い出の香水としてしっかりと白いハンケチに染み込ませていますよ』
と無言で知らされた。
今、また美禰子の肖像画を見た。この両は、二人が池の端で出逢ったあの日団扇を蒻して立っていた服装のままの姿である。二人だけの思い出の絵である。美禰子は、あの日、あの時、あの時刻が止まったように絵の中に残してくれた。
二人にしかわからない特別な「池の女」の肖像画である。これは与次郎にも言えなかった。
ヘリオトロープと「池の女」は二人の間の「ハイドロオタフィア」である。永遠に心の中に仕舞っておく記念であった。
しかし、三四郎は「ストレイシープ(迷羊)」と最後に口の中で二度繰り返した。
この言葉は、今後も二人の人生は「迷える羊」であろうという三四郎の予感ではなかったろうか‥‥。
小説『三四郎』の物語はこれで、終了した。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250715