「満洲事変」と「スパイ戦」
こうして、全世界的に「レーニンが正しいと思うことを正しいとしよう」ということになり、「コミンテルン」という国際組織ができて、世界全体に共産主義を広める活動が始まりました。
なにしろ「共産主義は正しい」のですから、共産主義を広めるにも「手段」を選ぶ必要はありません。最終的な到達目標が正しいのですし、相手の国、たとえば当時の日本やイギリスのような立憲君主国でも、フランスやアメリカのような共和国でも、「間違っている状態」なのですから、スパイでも陰謀でも、なんでも0kで、ともかく「みな殺しにしても、政治体制は共産主義にしてしまえ!」ということです。
今では信じられませんが、第二次世界大戦前は、日本の政府の要人やアメリカの官僚の中に多くのスパイが潜んでいました。また、頻発した奇妙な事件の中にはコミンテルンが計画したものが多かったのです。
その中に、後に「満洲事変」のもとになり、後に日本が孤立する原因の一つになった1928年の「張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件」や、1931年の「柳条湖(りゅうじょうこ)事件」があります。
しかし、満洲事変前後の満洲で起こった事実を勉強することはあまりおすすめできません。というのは、当時の支那は、政治情勢は極めて複雑で、覚えきれないほどの人の名前が出てきますし、日本から満洲に派遣されていた軍隊の動きも複雑だからです。それに加えて、陰謀渦巻く時代ですから、事件に次ぐ事件、それも不可思議な事件が次々と起こるのです。
もともと満洲は複雑な状況にありました。前述の通り、清王朝はもともと満洲の女真族の出でしたが、王朝が北京に移動して中国化されて満洲が自分の故郷だったことはほとんど意識されなくなっていました。ですから、ロシアが「満洲を自由に通らせてくれ、旅順に軍港を造りたい」と申し出た際、戦わずに満洲をほぽ譲つてしまったのです。
そのままでしたら、おそらく満洲はロシアか、革命のあとソ連が占領していたと思われますが、日露戦争で日本がロシアを破ったので、半分は日本の力が及ぶようになりました。
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)
『ナポレオンと東条英機』武田邦彦 ベスト新書(2016)より R0720251009