幸福の基準点
そうすると、今度はそういう幸福論という学問をいろいろ考えるうえでのことに加えて、自分の幸福を考えたときに、幸福論を読むと、その幸福論と自分とをやはり比較してしまうんですね。そうすると、自分が幸福ならいいのか? それとも自分が所属する集団、例えば、自分の家族、もしくは自分の国、これが幸福なら良いのか、良いのかというか、それが幸福であるという状態を私自身は気をつけているのかというと、だいたいおぽろげには「自分」なんですよ。しかし、自分というのは今度確率論が入ってしまうんですね。だって自分が日本全体のどこに所属しているかわからないですから‥‥。
ところが、日本の幸福、日本人の幸福といったらまあまあいけるんですね。
というのは、日本人1億2700万人全員が人はそれぞれ違うけれども、もっとも全体としての幸福の和が最大になるところを幸福というように定義すると、こちらの方は1億2700万人もいれば、一応大丈夫なんですよ。
どのくらいいればいいかというと集団というのは1万人ぐらいなんですね。統計物理学で非常によく議論するところなんですけれども、1万人から10万人ぐらいになりますと、統計的な取リ扱いができるというんですね。
分布がどうであるとか、どういうものがどのぐらいあるとかいうことが議論できる。だから1万人から10万人ぐらいいると、こういう統計的な考え方ができる。
そうすると、自分は幸福である。しかし、日本は幸福ではない、もしくは自分の家族は幸福でないというときの幸福論を考えるときに、どこに基準を取るかということですね。
『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版) 20250301