広田先生のモデル

広田蓑のモデルは当時一」ぃ阿で四十年ほどドイツ語と哲学を教えていた名物教師・岩元禎と言われている。根っからの奇人変人で生涯独身を通した。漱石とは一高講師時代の同僚であり、また東大でも共にケーベル栂士に哲学の教えを受けている。
「偉大なる暗聞」とは「三四郎』の小説が出てから逆に岩元に名付けられたあだ名であるが、あだな通り終牛一遍の論文も芳作も占かなかった。
一高でのドイツ語授業はとびきり辛い採点で、一切の甘えを許さず、半分以上の生徒が落第点を貰い容赦なく退校させられた。山本有三や岩波書店創設者の岩波茂雄らも被害者であった。漱石と岩元の関係はむしろ疎遠であったが、岩元は「夏目は英語ができるんじゃよ、ところが後でつまらんものを青きおってのう」と暗に「三四郎のことを指していた.
広田先生の引越し
漱石は小説『三四郎』の構想をしている時、門下生の小宮豊隆や鈴木三重吉の手紙や日常の逸話を手近な材料として使っている。これが三四郎や与次郎のモデルになっている。
漱石は明治三十九年に千駄木の家から西片町に引越した。その際に豊隆と三重吉は手伝いに呼ばれて漱石の書籍などを整理していた。この時の模様が広田先生の引越しを手伝いに来た三四郎、与次郎として描かれている。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250511