
解説 美禰子のモデル

里見美禰子のモデルは平塚らいてう(明子)と言われている。平塚らいてうは明治の「新しい女」と称され、雑誌『青鞜』を創刊し、生涯を婦人解放運動に捧げた。
明治四十一年三月に漱石の門下生森田草平と栃木県塩原温泉で心中未遂事件を起こしたが、それは漱石が『三四郎』を連載する半年前のことである。この事件で、漱石は草平を自宅にかくまったが、この願末を小説に書くよう勧めて「煤煙』という作品となり、「三四郎』の後、朝日新聞に連載された。
里見美禰子のモデルが「平塚らいてう」だと言われるのは、どちらも美貌で明治の「新しい女」であるというくらいで、それ以外の共通点はない。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250510