第6章日本技術の原動力は家族主義と駅伝方式
◎アメリカは金のない貧乏な勤勉な国になる
武田: 公害については、公害を退治しなければならない必然性がもともとあった。そして、実際、一九六〇年前後から一九九〇年まで日本では公害対策をやって、非常な成功をおさめて、世の中に公害がなくなった。
そこでさきほど話した、「戦争の終わった将校さんの話」につながるわけです。一九九〇年代には、光化学スモッグもなく、空気はきれい、水はきれい、産業はきちんと公害技術をやるというように整った。繰り返しますが、そのときに、環境庁はいったん解散すればよかったのです。
そこで「あなたたち、今度は何をやるの」となったら、もう少しまともで発展性のあることもあったと思います。しかし、退役軍人に全部、俸給というか恩給をあげなければならないから、そのまま残して、環境庁はもう一回戦争を起こした。それが一九九〇年以降のリサイクルとかダイオキシンとか地球温暖化対策というものです。
結局、彼らは悪いことしかしない。変てこなものを次々とつくつてきていると思うんですね。
日下: 無理やり犯人をつくっていくわけだ。
武田: それから、もう―つはマスメディアの問題です。いつもそうなんですが、「なぜ、きちんと取材をしないのか」という疑問がわいてくるのです。
日下: それが不思議なところです。
武田: 学者もそうですが、「学問の自由」とか「取材の自由」というような自由を持っている人たちは絶対にきちんと調べる、取材しなければいけないと思うんですね。取材して事実を確認して発言するから、その発言の自由が確保されていると思う。それが社会全体としては、権力だとか、私欲だとか、そういうものに対抗する、社会を健全化する要因として近代国家の中で生まれてきた。
ところが、マスコミがきちんと取材しないで、人の顔色を見て書いたり、こう書けば、世間からもてはやされるだろうと書く。そんなことをしているのならば、「取材の自由」とか「表現の自由」を捨ててくれと言いたくなる。
私もずいぶん事実を見てきましたが、お役所は法律をつくるときには万遍なくつくる。しかし、それがすぐ悪用されて、利権とくつついていく。法律だから守らなければいけないので、弊害があっても、なかなかそれを打ち破れなくなってしまう。そのために、無駄なことを山ほどするようなシステムになってしまう。
それはそれでしようがないとあきらめる手もあるんですが、どうも、国民みんな、あきらめがよすぎるのではないかと。それは封建的雰囲気が残っていて、まだ「お上意識」が根強く残っているのかもしれません。
少しでも改善できれば改善した方がいいのではないか。だから、国民一人ひとりがきちんと文旬を言えるような社会システムができればいいのですが。マスコミはその材料を提供したり、いい方向に向けるような意見を出していくべきなのに、どうも実際はそうではない。
しかし、一部の人だけに都合がいいような社会システムは、そのままでは通じないので、変わっていくと思いますね。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R070115 P178