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yymm77

日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

玉川可奈子氏の『萬葉日本學』が、届きました

玉川可奈子氏の『萬葉日本學』が、届きました。



この書籍は、萬葉集を通じて、日本を學ぶ、ということを教えてくれます。もともと、萬葉集は古代から、日本人がそもそも身分の差などなく、庶民から天皇陛下まで一線に並んで、日々の思いをうたったものです。今は、悪魔の手先によって洗脳された輩によって、日本がズタズタにされていますが、必ず、日本のDNAを持った普通の日本人によって、それらの輩は一掃されると思いますが、そういった日本人のアイデンティティを明らかにしてくれる本だと思います。まだ、全部読んでいま円が、チラ見した中で、数行引用させていただきます。あとは、手に取って、一緒に萬葉集を通じて、日本を學び直しましょう。



以下引用
海ゆかば水漬く 屍山ゆかば草むす屍 大皇の 辺にこそ死なめ かヘリ見はせじ

彼らの最期は、「海ゆかば」によって、悲しく歌はれたのでした。彼らの至烈の闘魂、至高の練度、さらに天皇陛下と祖国、そして家族を思ふ情の強さがすなはち日本の強さの源だったのです 。
彼らの多くは『万葉集』を好みました 。特に防人(さきもり)の歌を収録した巻二十に親しみ、戦地にもそれを持つて行ったさうです。例へば昭和十九年八月二十一日にトラック諸島夏島において散華された陸軍中尉青木輝雄命(みこと)は、
大君の 命(みこと)かしこみ 大船の行きのまにまに 仇撃(あだう)ち征かむ

と遺書に書き記されました。多くの軍人が、このやうに万葉の伝統に連なる和歌を作り、愛する家族に送りました。彼らは家族と、日本と、何よりも皇室つまり国体をお護りしたかったのです。
また、陸軍航空隊の特攻基地のあった鹿児島の知覧には、次のやうな話が伝はつてゐます。
昭和二十年(一九四五)六月六日、宮川三郎軍曹に出撃の命が下りました。新潟県出身の宮川軍曹は、かつて万世飛行場から出撃しましたが、機体の故障で失敗しました。出撃の前日である六月五日は彼の満二十歳の誕生日でした。彼は出撃前夜、知覧にある富屋食堂を尋ねました。食堂では鳥濱トメさんの手料理で誕生祝ひと出撃の餞をしました。彼は、愛用の万年筆を形見に贈りました。そして、トメさんに次のやうに告げました。
俺は心残りは何もないけど、死んだらまたここに帰つてきたい。さうだ、蛍になつて帰つてくるよ。
さう告げて、翌日出撃しました。そして、その日の夜九時頃、食堂のわづかに開いた隙間から一匹の蛍が舞い込んできました。宮川軍曹はまさに、蛍になつて帰つてきたのです。そして皆で泣きながら「同期の桜」を歌ったさうです。

貴様と俺とは 同期の桜 同じ航空隊の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため

若き軍人は強いだけではなく、このやうに純粋で優しく、情に厚かったのでした。

以上引用終わり

『萬葉日本學』玉川可奈子著 (反時代出版社令和6年刊)より抜粋
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