与次郎の参加
そこへ、荷車とともに与次郎がやって来た。荷物を卸して与次郎と三四郎は書物を西洋間に運んでいる。美禰子も二階から降リてきて手伝い始めた。三人は三十分あまリ働いた。三四郎は詩の本を出したが、美禰子は大きな画帖を膝の上に開いた。
「ちょっと御覧なさい」
と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰になって、画帖の上ヘ顔を出した。美禰子の髪で香水の匂いがする。画はマ—メイドの図(注1)てある。裸体の女の腰から下が魚になって‘魚の胴がぐるリと腰を回って‘向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛で梳きながら梳き余ったのを手に受けてこちらを向いている。背景は海である。

「人魚(マーメイド)」
と頭を擦リ付けた二人は同じことを囁いた。
美禰子は益々天性の人懐っこさを発揮している。
書棚の整理をしていると、「ちょっと御認なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰で両帖のLに頗を出すが、美禰子の髪から香水の匂いがする。二人は「人魚(マーメイド)」と頭を擦り付けて同じことを噺くなど、傍目からは仲の良い恋人同士がくつついているようにしか見えない。
美禰子fは一向に構わず絵の方に夢中になっているが、三四郎は絵よりも美禰子の匂いや噺きの方が気になる。内心はドキドキしながら、嬉しい気持ちである。美禰子は同年齢の三四郎より大人びているから、姉のような親しさで接している。
(注1 ) 「マーメイド〈mermaid〉(人魚)」の絵画
J・W・ウォーターハウスの作品。イギリス十九世紀のラファエル前派を継承する画家で、このようなラファエル前派の絵画が流行り、漱石はロンドン留学中に美術館によく通って観ていた。有名なJ・E・ミラーの作「オフィーリア」も同時代の作品で、『草枕』に取り入れてある。
『気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250507