◎公害設備向けの融資制度をつくる
日下: そうですね。
公害のことでも、公害というと悪いことばかりというイメージだが、「公害だって、いいことがあるよ」と私が言うと、みんなは「そんなもの、あるわけない」と言う。
しかし、昭和三十五~四十年頃の初期に私が「これは公害だ」と言ったときは、「それにはいい点がある」と、みんなが反対したんですよ(笑)。
所得倍増計画をつくる頃、「四日市ぜんそく」(注2参照)という名前がまだついていないが、石原産業{参考•四日市ぜんそくの被告六社のうちの一社で有罪になった}に貸付に行ったことがある。見ると、石原産業では、酸性の廃水をジャージャー、海に捨てている。それで、岸壁のセメントが腐ってボロボロになっている。石原産業一社で岸壁をぼろぼろにしている。
武田: 石原産業は国策的な色彩のある古いタイプの化学会社ですね。
日下: そう、戦争中、軍需物資として硫酸をつくつて、儲けたところです。硫酸の使い残りなどを海に捨ててしまう。それが流れていって、岸壁のコンクリートをみんな壊してしまう。パイプをもう少し沖合まで延ばして流せば見えないのに(笑)、それをやらない。
煙突だって、あと五メートル高くすればいいのに、それをやらない。こちらがそのことを言うと、「日下さん、お金、貸してくれますか?無利息で、返さなくてもいいのならば、やりますよ(笑)」と。これが昭和三十年代はじめ頃の私の体験です。会社は赤字すれすれなので従業員住宅は粗末だし、役員も質素な生活をしている。公害防除にかけるコストはないと言われればその通りだった。しかし、日本国全体としてみれば損の方が大きい。
そのあと、初代の通商産業省(現・経済産業省)企業局産業公害課長の三宅さんに、「そういう公害設備向けの融資制度をつくりなさい」と言った。三宅さんは「そういう融資制度、どのくらい借り手がありますかね?どういうのが公害防除、設備投資と言えますかね」と言うから、私が調査して、その定義もつくった。
たとえば、煙突の高さ二十メートルまでは普通の煙突だが、それ以上に高くした分は住民向けの工事とするなどです。
三宅さんの後に公害課長になったのは、後に大分県知事になった平松守彦さん(一九六四年四月~一九六五年六月に公害課長)だった。
私は銀行の取引先の会社のすべてに、この定義を見せて、アンケート調査をしたが、それが昭和三十九(-九六四)年頃の話で、わが国初めての公害対策資金調査でした。設備投資の三%から五%くらいは使っているということが業種別に分りました。この数字は四日市ぜんそくの裁判のときの証拠に使われ、「数字の一人歩き」とはこんなものかと経験しました。
武田: まさにわが国の石油化学コンビナート勃興期ですね。
日下: そうですね。これは経済白書にも載った。民間の統計を経済企画庁が白書の中に使ったことは、二つしかないという話です。
―つは土地の値段の統計。これは勧業銀行が明治時代から農地、宅地、田んぼなどを調べていた。これしかないから使う。そしてもう―つが「長銀さんのこれだ」と言うわけ。「この二つしか民間の統計は使っていない」と、ほめてくれた。
三宅さんと平松さんは、「そうか、では、やろう。様子がわかった」と言っていたが、そのわかった様子というのは、一番下っ端の銀行貝として、私が石原産業を見て考えたことに過ぎなかった。
日本中、公害の体験者は何万人もいるはずだし、前例も山ほどある。公害は明治時代からある。いや、もっと前からある。「備前国風土記」には、製鉄業者が山の木を製炭のために丸刈りにして洪水の害が農業に及ぶ……などの記述があると、これは岡山県の郷土史に書いてあった。注意してみれば、世界にもいろいろある。
デイケンズの小説などで昔のロンドンの話を読むと、煙突が低いものだからロンドンに大火(注12) があった。そこで、「煙突はとなりの家の軒よりも三ヤードくらい上に出せ」となった。「煙突を高くしろ」と言ったのは、火事のもとだからという規制で、ロンドン大火以来の規制である。
そんなことを勉強して、それを通産省の人に教えると、金科玉条のように持って回って周りに吹聴していた。産業公害課の課員として給料をもらっているのだから、「そんなこと、なぜ自分で調べないのか」と思ったものです。
「ロンドンのときの規制はどうだったか」などは、外務省に頼んでロンドン大使館に調べさせてもいいし、東京のイギリス大使館に行って調べることもできる。そんなことは、図書館で調べてもすぐにわかる。「まったく働かない役人が民間人に対して威張る」と思ったが、そこはやさしく教えてあげた。そうすると、役人が私の言うことを聞くようにもなる。そこで協力して日本開発銀行は大企業向け、長銀はそれ以下の中小企業向けに特別低利融資をするという制度をつくった。
武田: おもしろい体験ですね。
(注12)ロンドン大火
一六六六年九月一日から四日間にわたって燃え続けたロンドン市内の大火。パン屋のかまどから燃え広がった。市内の家屋の約八五%が焼失。これをきっかけに、それまでロンドン市内の家屋はほとんどが木造であったが、木造建築は禁止され、家屋はすべて煉瓦造りか石造りとされ、また街路も狭かったので、道路の幅員(ふくいん)についても規定された。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
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