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日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

◎一九八〇年代後半には公害は退治された

◎一九八〇年代後半には公害は退治された

武田: 昭和三十ご~四十(一九六O~一九六五)年頃に、日下さんをはじめ宇井さん、橋本さんなどが公害問題に取り組みはじめたということですね?

日下: はい。新聞記者にもぼつぽつ、公害専門という人が出てきましたね。
はじめに言ったように、昭和四十五(一九七〇)年前後に、私は「公害」という雑誌に毎号巻頭言を書いていた。そこで、日本が呼び掛けて、「国連環境会議を開こう」という提案をしたところ、経済企画庁や外務省や通産省が乗り気になって、そのための準備海外調査団ができた。団長は村上孝太郎氏で副団長は下河辺淳氏です。世界中を視察して歩いた。
高度成長は終わって、公害がひどくなっている。私は「公害問題の―つの原因は社会資本不足ですよ」とも主張していた。たとえば、上下水道をきちんとつくれば、工場も川に流さない。だから産業用下水道をつくって、料金をきちんととる、といったことを、みんな一緒にやれば安く済む。というような政策提言をしたから、建設省や通産省も乗ってく
国るわけ。役人たちは「これで予算をとれるぞ」と思ったのかも知れません。
世界を視察して歩いたときに、見て歩いたのは下水処理場とごみ処理場ばかり。帰国して「日本の下水処理場は遅れている」などと書いても、あまりだれも喜ばない(笑)。当時は町中、くみ取るためにバキュームカーが走っていた。

武田: あの頃は。それが普通だった。

日下: 出張で鳥取市に行ったとき、バーの女性にこの町の自慢は何ですかと聞いたら、「水洗トイレ」というのが真っ先に出てきた。下水道整備は喜ばれる社会開発だった。そして、下水処理技術の開発はやっぱりまじめな人がいて、まじめにやっていた。今は、当たり前になっているが、あれはいつ頃に全部完備されたんですか。

武田: 下水道の完備は一九八〇年代の終わりくらいかな[参考.一九七二年に「下水道事業センター」(後の「日本下水道事業団」)が設置された。一九八〇年、普及率が三割を超える。

日下: その当時は、下水にはいくらでも予算がついて、天文学的に金を使った。

武田: 公害についても、日本では、一九六〇年代頃から宇井さん、日下さんはじめ、いろいろな方が出てきて、社会的には非常に素早く対応してきた。もちろん、それにはいろいろご苦労はあったのでしょうが、日本のことですから、あっという間にひどい状態からよくなってきた。
それには脱硫技術とか脱硝技術とか、活性汚泥処理などの技術とかが実用化されていく。
そういう技術の確信があるわけですが。もちろん、当然、お金の面とか、政治的な面もあってですけど。そして、結果としては、一部は残っても、一九八〇年代の後半にはほとんど公害のようなものは退治されてきた。
しかし、その中で報道のひずみというものがあって、いまは、たとえば牛込の柳町の鉛公害事件(注15) などは、ずいぶん調べたんですけど、私の調べた限りではでっち上げた事件のようです。この頃からすこし報道は曲がってきた。

日下: それは車の排ガスが低地にたまると言って問題になった事件。

武田: そうです、有鉛ガソリン廃止のきっかけになったんです。東京都の健康診断などからですが、実際は健康診断自体が間違っていたようです。でも、社会には環境被害に対するあるトラウマが存在して、社会的な騒ぎになった。
この事件に対しては、間違っていても騒ぎになったことが、環境を改善する―つの力になったという評価もあるのですが、私などは、事実に基かないことで事態を解決しても、一時的によいだけで、結局は世の中は良くならないと思うのです。

(注15)牛込柳町鉛中毒事件
一九七〇(昭和四十五)年、東京都新宿区牛込柳町の交差点付近住民の健康診断で、多数の人が慢性の鉛中毒に罹患していると疑われ、その鉛は自動車排気ガス(有鉛ガソリン)に由来していると発表され社会問題化した。
この「牛込柳町鉛公害事件」は、マスコミなどで大きく取り上げられ、日本で有鉛ガソリンが廃止された直接の原因となった。ところが、詳細に調査してみると、健康診断のデータ自身が間違っていたことが判明した。体の不調を訴えた住民は実際の健康はどうだったのか、まだ明らかになっていない。この鉛中毒事件自体が、マスコミのイメージ先行のミスリードだったとも言われる。

『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R061231 P135
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