◎所得倍増計画の中に公害問題が一行加えられた事情
日下: 昭和三十五(一九六O)年に所得倍増計画をつくったとき、「公害」という一章を私が書いた。産業公害課はまだなかったから、自分で命令もないのに四百字で十枚くら書いた。
それが担当からはじまって、次に課長代理、課長、そして次長、局長と次々に回る。局長のところまで行って私が説明した。当時の局長は迫水久常(参考•さこみず・ひさつね一九〇二~一九七七年官僚(内閣書記官長など)、政治家経済企画庁長官、郵政大臣などを歴任)といって、自分で「日本人の中で俺が一番、文章がうまい」と言っていた人です。天皇陛下の前で御前会議が開かれるとき、内閣書記官長として天皇の発言を勅語にして何回も書いたという実績があった人で、当時はその人が経済企画庁の局長をしていた。
武田: のちに大臣になっている人ですね。
日下: で、一番下っ端の私が説明に行くと、「話はわかった」となった。しかし、所得倍増計画をつくる審議会の方は難航した。
その審議会の工場立地部会の部会長は朝日新聞の人で、仕事に情熱をもって当たるので私は好きだった。その彼は顔を真っ赤にして「公害防止は所得倍増が達成してからあとにしてもらいたい。いま日本は貧乏だ。食うものも食えない。石原産業であれ、何であれ生産を増やすことが大事だ。そのあときれいにすればよい。順番はまず所得倍増で、そんな
ことはそのあとだ。日下は十年間黙っていろ」と言った。
私は、「それは理屈としてはそういうことも言えます。しかし、その損害は大きいんですよ。だから、両方を並行にやってくれませんか」と言った。すると、「どうやってやるんだ?」と言うので、「公害は犯罪であるとする法律をたくさんつくる」それから「いまの警察とは別に公害警察というのをつくる」というようなやりとりをした。というようなことがあって、結局、所得倍増計画に入るには入ったが、さんざん削られてたった一行。最後に、「公害の問題にも配慮しつつ、進めるものとする」と、それだけ。
はじめの所得倍増計画草案には、十行分くらいあった。それを課長、次長と削っていく。
削っていくに際しては、玉虫色の得体の知れない文章を一生懸命つくる。日下に怒られないように、財界を敵にしないように、国会で目立たないように、新聞記者にも気がつかれないような文章にするために。それを迫水久常が読んで、「俺は天皇陛下のおことばを文章に記録して、勅語にして出してきた。だから、日本語はできるつもりなんだが、これは、わからんよ」と(笑)。それが官庁作文の極意なんです。それを言われた課長は、叱られたと思っていない(笑)。自慢に思っていたはずです。
昭和三十五(一九六〇)年はそんな年で、社会ではそろそろ「水俣病」が騒がれるようになった頃です。
そんな思い出から言うと、今、武田先生が「日本では環境問題はとっくに解決済みである」と話されるのを聞くと、なるほど日本は「公害の犯罪化」を完成した先進国なんだなと思います。つまり、市民運動の目標はもう警察の仕事になっています。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
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(ブログ作者注:迫水久恒(本ブログの最初のころに、「姓名」といいう漢字の画数を使用して、未来を予測する技術を開発された、故牧正人史先生が、よく迫水先生のお話をされていらっしゃいました。マシレ予測を相当進講され、日本の未来に不安を持たれていらっしゃった様子をうかがったことがあります。最後の元老という表現で、迫水先生のことを呼ばれていました。)