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yymm77

日本を潰そうとする強大な勢力に、対抗するために、、、、

四十 神道

四十 神道

古神道のけがれの思想は、武士道といつも抵触するように思われた。一説によれば古神道のけがれをきよめる水が、武士道において死の観念に代置されたという人がある。すなわち古神道では死穢(しえ)を忌み、また血のけがれを忌むが、もし武士が戦場に出で立てば、そのまわりには死穢と血穢は必然的に群がり起こってくる。平田篤胤の「玉襷」(たまだすき)によれば、死穢をよけるには死体を置いた部屋の敷居の外にすわらなければならないとか、「膿汁(のうじゅう)失血の禁忌、痔血(はしりぢ)鼻血の類は沐浴解除(もくよくはらい)して参宮すぺし。」とか、くわしい規定が述べられているが、武士はそのような古神道の教義に、あくまでも忠実であることはできなかった。これらすべてを清める水のかわりに、死を象徴的に持ってきたという考えも、じゅうぶんうなずけることである。
しかし、常朝はそのような妥協策を神道について講じているのではない。「後向き候神ならば詮(せん)なき事と存じ極め、穢(けがれ)も構ひなく拝み仕(つかまつ)り候由。」彼は神道におけるタブーを激しく否定したままで武士道を貫こうと試みた。ここでは、日本の伝統的なけがれの思想は、激しい行動の意欲の前に踏み破られているのである。
「神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども、一分(ぶ)の見立てこれありて、日拝怠り申さず候。その仔細は、軍中にて血を切りかぷり、死人乗り越え乗り越え慟き候時分、運命を祈り申す為にこそ、兼々は信心仕る事に候。その時穢あるとて、後向き候神ならば詮なき事と存じ極め、穢も構ひなく拝み仕り候由。」(聞書第二 一七二頁)

『葉隠入門』三島由紀夫 (新潮文庫)   20240904  P78

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