三四郎と小宮豊隆(3)
小宮豊隆は几帳面な男だが、特に金銭面ではきれいな男であった。漱石が弟子に金銭を貸与する際には、豊隆に通帳を渡し、豊隆経由で金銭を渡していた。豊隆の几帳面さを信頼していたのである。この章でも美禰子が与次郎に金を渡さず、三四郎に取りに来させて、しかも銀行通帳を渡して銀行で引き出させている。
美禰子の貯金通帳
明治二十一年の民法改正で家族制度の長子相続が厳格に行われ、次男以下の男子、及び女子の相続権はなく准禁治産者(じゅんきんちさんしゃ)扱いとされた。里美家は兄恭助が相続し、美禰子に相続権はない。女性は経済的に独立した人間とは認められていない。
美禰子は里美家の一部財産を兄から分与してもらい、兄が結婚するまで自分名義の金として預金通帳を持っていた。美禰子の個人的な独立心へのプライドと、その背後には明治制度への抵抗もあろう。自分の名刺を持っていたのも同様の理由である。その辺りは兄恭助も認めていた。結婚したら、姓が変わるので、里見美禰子という名義の通帳は使えなくなる。三四郎が二十円を必要としていたのに、二十円ではなく三十円を貸したのは、預金に余裕があったのは勿論だが、それ以上に三四郎への親愛感を示したもので身内扱いとして美禰子の姉さん振る性格もあった。
通帳の残金は、美稲子が結婚するまでは、自分の金として使用でき、結婚したら持参金となる。
気楽に楽しむ漱石入門「三四郎」』武田邦彦 (文芸社刊 2016年)より R0720250613