◎将来にわたってダイオキシンが問題になることはない
日下やはり普通の人たちは、プラスチックごみなどを燃やすと有害なダイオキシンが出るとなったら、やはり燃やすことには神経質になるでしょう。報道が盛んだった九〇年代半ば頃は、そのへんで落ち葉などのゴミを燃やしていても、警察に通報されたんじゃないかなぁ。
武田: そうですよ。ダイオキシン騒ぎが起こってからは、焚き火が禁止され、農業の人は野焼きまでできなくなって困っています。
日下: ダイオキシンが有害ではないという説が決定的になったのは、結局いつごろのことなの?
武田: 和田攻先生は東京大学医学部教授で免疫学や毒物学の日本の第一人者です。この和田先生が二〇〇一年の一年間に論文をいろいろ出されています。
その中でももっとも一般的なのは一月に出版された「学士会会報」に掲載された「ダイオキシンはヒトの猛毒で最強の発癌物質か」です。
そこには、「少なくともヒトは、モルモットのようなダイオキシン感受性動物ではない。また、現状の「環境中ダイオキシン発生状況からみて、一般の人々にダイオキシンによる健康被害が発生する可能性は、サリン事件のような特殊な場合を除いて、ほとんどないと考えられる」と書かれています。
注目してほしいのは、この「一般の人々にダイオキシンによる健康被害が発生する可能性は……ほとんどないと考えられる」という部分です。「過去にダイオキシンによる患者はいなかったと思われる」というなら普通の論文ですが、将来について、「健康被害が発生する可能性はほとんどない」というのは珍しい書き方です。
当然、未来のことは過去のことを書くよりも、もっと慎重であらねばなりません。それにもかかわらず、科学者がここまで書くということは、よほど確信があるということです。
和田先生の論文は論理的で、これまでの医学的見地、また毒物的見地からいって、ダイオキシンの健康障害が起こる可能性はほとんどない、危なくないと断定されるに十分な内容でした。その後、この論文が書かれるもとになった実験データを勉強したり、先生の講演を聴いて、その確信はますます深くなりました。
先生が、「ダイオキシンが猛毒になった理由」としてあげているのは、「科学の力の弱さ」です。つまり、ダイオキシンが毒性かどうかは、医学の問題であって、本来は科学が判定しないといけない問題です。ところが科学が判定せずに、その判定に社会のほうが大きく乗り出してきてしまった。
つまり、毒性などという科学の問題は、社会が判定するものではないにもかかわらず、社会が最初に判定してしまったのは、科学の力が十分ではなかったからだと言うわけです。
社会が判定した裏には、もちろん一部の科学者がいます。政府が研究費を出すということで、政府の施策に反対しにくくなります。結果的に、政府に都合のいい意見にならざるを得ません。
また、視聴率至上主義のテレビなどマスコミはスキャンダリズムにのって危険をあおる。そうして、大衆の中で異常な心理状態が醸成され、そこに利権が発生していくという構造です。ダイオキシン対策に、国家予算で千八百億円も出していたわけで、その予算をどこが使うのかという話になります。そういったものすべてが―つのパックになって進んでくる。
日下: その旗振り役が環境省だった?
武田: 自分たちが偉くなるためには、もう一回戦争がなければ困るのですから、その意味では、ダイオキシン問題は彼らにとって、ちょうどタイムリーなものだった。
日下: それで、「戦争が終わった将校さん」と。
武田: そうです。ダイオキシンの急性毒性としては塩素挫創(えんそざそう)という、まあ普通に言えばニキビですが。このニキビはダイオキシンを摂取しなくなるとすぐ治る一過性ものです。
二〇〇四年十二月に、ウクライナ共和国の大統領候補であったユシチェンコさんが食事にダイオキシを盛られて倒れ、顔面に青黒い発疹(ほっしん)ができて人相がすっかり変わってしまったと言われている事件があります。
ユシチェンコさんは、その後無事回復して大統領になりました。その後の調査で彼は塩素系農薬か、ニミリグラム程度のダイオキシンを食べさせられたと推定されています。このダイオキシン量は、高濃度のダイオキシンで汚染されたキャベツを、一度に二百万個食べた量に相当すると言われます。それほどの量のダイオキシンを一時に摂っても、たしかにひどい発疹ができはしても、結果的には生命に別状がなかったわけです。だから、この事件は、急性毒性に関してもダイオキシンのリスクはほとんどないという証明になったものです。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R061210 P64