◎日本は一九九〇年には環境問題をすべて解決してしまった
日下: それ以前の話に戻ると、一九六〇年代の東京の空は、本当に真っ黒けだった。その原因は、冬の暖房に石炭を燃やしていたからで、ビル ディングに煙突が出ていてそこからもうもうと黒煙が出ていたものです。スモックだらけだった。
通産省に石炭局というのがあって、「国産石炭会社は潰してはいけない」と考え、全部重油に依存したら日本はエネルギー自立ができないから、炭鉱保全のために無理矢理石炭を買い上げ、それを燃やすためビルディングには「必ず石炭ボイラーをつけろ」と設置命令があった。
武田: なるほど、「石炭を掘るんじゃなくて税金を掘る」という話があるくらいですからね。
日下: 通産省は「国産エネルギーを」と訴えていた。だから石炭屋が儲けて政治献金をしていた。当時、日比谷の交差点の巡査は椅子の下に酸素ボンベを置いておいて、それを吸いながら交通整理をしていたほどで、それがライフとかタイムスに写真で世界に紹介されたりしていた。
いまでは同じことが北京で行なわれている。北京オリンピックの期間はやらなかったけれど、北京の交通巡査が酸素を吸っていると世界中に言われた。
当時は東京の中心では、マンションを建ててもダメだと言われたくらいだ。それが今はマンションが建てられるようになった。北京の人はやっと東京に追いついたと喜んだが、公害も解決しなくては追いついたと言えない。
武田: スモッグと言えば、ロンドンスモッグというのは一九五二(昭和二十七)年の十二月五日から十日くらいの間に起こったんです。その日は寒かったので、いつもよりも多く石炭の暖房を使ったりした。ちょうどロンドンの交通機関が路面電車からディーゼルバスに切り替わったばかりで、暖房器具やそれらの交通機関から生じた二酸化硫黄などで 、高濃度の硫酸の霧を形成したんです。
人間は自分に被害が及ばないと気がつかないのですが、十二月の初旬に北海の寒気団がロンドン上空に来た。そこで大気の逆転現象が起こり、自分たちの煙で汚れていた上空の大気が地表に戻ってきたのです。
最初の日の午前十時には、すでに映画館では客席からスクリーンが見えないほどになっていた。そして、午後になると病院には気管支炎、気管支肺炎、心臓病などの患者が次々に運び込まれて、普段の冬よりも四千人も多くの人が死んで
、翌年の春までの犠牲者ということでは合計一万二千人も死んだと言われています。
当時のロンドンの人たちは、「自分たちの焚いたもので大気が汚れるの?」という感じで、人間のやったもので影響が出るなどとは思いもしなかったのですね。一九六二( 昭和三十七)年にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』(注8)を出したときのアメリカのリアクションもそうでした。
石炭もそうですが、大気に出せば、大気は無限大だから吸収してしまうだろうと考えていた。基本的には、一九五〇年から七〇年くらいまでは先進国の間でも、そういう通念が一般的だったんです。その顕著な例が四日市ぜんそくで、最初は「なぜぜんそくになったのか」、全然わからなかった。
そのうち煙突のせいだということになる。あの頃は工場の周りにエ員住宅を置いた方が効率がいいというので、わざと近くに住宅をつくった。いまとは全然逆ですね。
その次の段階で、煙突から二酸化硫黄が出るからぜんそくになったとわかったら何をしたかというと、今度は、煙突を高くした。煙突を高くすれば解決するだろうと考えた。しかし、煙突を高くしたら、四日市全体にぜんそくが広がってしまった。患者がよけいに増えてしまったわけです。
最初は、わからないから煙を出した。出したら、ぜんそくで死んだり病気になったりする人たちが大勢出てきた。そこで、煙突を高くすればいいだろうと高くした。すると、煙の着地点が遠くなって、近くのエ員住宅の人だけでなく、遠くの四日市の一般市民がぜんそくになってしまった。
そういうことを通じて、勉強してきたわけです。だから、人間というのは、いかに学ばなければダメだということを示していると感じます。
そして、日本が優れているのは、学んだことを生かしてきたことです。私が持っている東京タワーの写真で煙っている写真は一九八五(昭和六十)年が最後で、それ以後はいまは煙っている写真は撮れません。当時予想していた以上に、われわれはきれいな環境をつくってきたと思います。
日下: それは本当にすごいことですよ 。東京タワーは中腹の百二十メートルあたりが汚れてペンキがはげた。逆転層のためでした。私は二百メートルの高さのパイプを立て、上空の新鮮な空気を吸い込んで都民に配るようにしてはどうか、上水道と「上空道」が……と書きました。
武田: それで日本の産業が非常に活発になり、脱硫(だつりゅう)設備、脱硝(だっしょう)設備など、次から次へとやっていく。さらに廃棄物や副産物の利用についても技術進歩が見られた。一部はできないものもありますが、とにかく進めてきた。
私は十五年ずつで区別しているので、一九六〇年から七五年までは高度経済成長、七五年から九〇年までは高度経済成長のひずみの解消をしながら非常に高度な社会に移ったと見ています。この後者の時期に、環境関係では環境省や市民の運動などが加わって、非常に大きく飛躍しています。それで先ほどの話に戻ると、一九九〇年にはすべては解決して
しまったということになります。
日下: 他の先進国に比較して、日本は環境対策技術が進んでしかも普及しているということですね。
『作られた環境問題』NHKの環境報道に騙されるな! 武田邦彦・日下公人 (WAC 文庫 平成21年発行)より
R061204 P37